空海は今の福州付近で入唐して、その後、西安にて本格的に修行したようです。
詳しくは、別途、記載する予定です。
入唐したあと暫く福州の開元寺で修行したと言われており、日本人の手により、
開元寺に「空海入唐の地」の石碑を建てました。(但し入唐の地には諸説あり)
福州(台湾の対岸)を訪れたとき、開元寺を探して行ってみましたが、
知らない運転手が多く、やっと一台のタクシーが分っていて行ってくれました。
当時は小さなお寺でしたが、その後訪れたときには改装をしており、さらに今では
立派なお寺になっているようです。
西安では、一般的な西安の観光地のほか、空海が師である恵果に学んでいた寺で
ある「青龍寺」を探していきました。 郊外ですから、これまた大変でした。
空海を慕う多くの人達によって立派なお寺になったようです。
また、興慶宮公園には空海の碑のほか、生涯日本に戻らなかった安倍仲麻呂の
記念碑などがあります。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
中国大陸最南端、海南島にも仏教文化公園があり、空海像などが数多くありました。
多くの中国人が参拝していました。
石壁に般若心経が書かれていました。(海南島だったような気がします)
また、上海近くの蘇州、寒山寺にも弘法大師像が祭られていましたが、写真がうまく撮れていませんでしたので割愛します。